津軽のりんご農家から情報発信!日頃の出来事を日記に綴っています。
       

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被災地支援りんご提供
平成23年3月11日、東日本大震災・・・

葉とらずりんご精算報告会でりんご協会に集まる中で、足元から伝わる重く長い揺れに部長としての自分を保ちきれずに思わず携帯電話でテレビを確認し、飛び交う「震度6強、震度7」の文字に目を疑いました。
その後、画質の悪いテレビで流れる衝撃的な津波映像には、何かの見間違いではないかと目を、耳を疑い、信号の点かない道路を混乱しながら帰った記憶は恐らく忘れることが出来ないものでしょう。

「何かしたい、何が出来る?」震災から数日が過ぎると、そんな思いが頭の中を埋め尽くしました。
折しも剪定作業が本格化する中「りんご農家としての自分は普段通りにりんごを作る事こそ混乱を治め復興に向かう優先項目ではないか?」と意志を固めつつも、単なる綺麗事や逃避ではないかと悩む日々が続きました。
4月に入り、りんご協会青年部では総会があり、その中で提案されたのが「被災地支援」の実施でした。
仕事や所用に追われる中で、頭の隅に引っ掛かっていた「それ」が、実現に向かったのはりんごの収穫作業が始まる9月頃でした。
「今年は県内即売会を実施せず、代わりに被災地を支援するためりんご提供を行いたいと思います」
会議の中で提案すると、数人からの賛同の声・・・そこから今回の事業開始に向けて出発しました。

事業を立ち上げた9月頃になると支援も少し落ち着き始め、被災地でも分配の煩雑さから大口での受け入れを断っている場面が見られました。
県単位での提供は難しいと思われ、市町村での受け入れ先を探し始めました。
そこで提案させてもらったのが「岩手県下閉伊郡山田町」でした。
私の住む平川市とは姉妹都市であり、小さな頃には我が家へ同世代の方がホームスティにきた思い出もあり、震災時にテレビで町名が映されるたびに「何とかしたい」思いが募っていました。
事業が、単なる発送から直接訪問に変わってきたところで、少しでも繋がりがあった所へ行こうと半分自分の我が儘でしたが提供先を「山田町」に定めました。
事業の企画、現地との交渉、その他の準備・・・順調に進んだかに見えた事業が、少しつまずいたのが今年のりんご不足でした。
「普段通りにりんごを作ることが復興に繋がる」そんな風に考えていたにも関わらず、例年より遙かに少ない・・・平成に入ってからでは台風19号が襲来した平成3年に次ぐ収量の少なさと言われる年となり、高値基調となったりんごを集めることは困難を極めました。
様々に手を尽くし、それでも企画段階より集まらないりんごに半分気持ちが折れかかっていました。
「形式的な事業でもいいか・・・」投げやりな気持ちでいましたが、日帰り強行スケジュールにも関わらず参加を表明する部員の声に気持ちが奮い立ちました。
そこからはめまぐるしく事業を盛り立てる手立てを考え、県南支部との合同開催や、気持ちを伝えるための手書きメッセージの作成、メディアへの情報提供などに奔走しました。

前文が長くなりましたが、以下から12月13日の準備と14日の提供の様子です。

集まったりんごは全部で10キロ段ボール200ケース分、写真のように木箱やコンテナで運ばれてきたりんごを段ボール詰めする作業が13日に行われました。
品種は葉とらずふじを中心に、中・晩生種が多種集まり、品種別・サイズ別に分けた上でそれぞれに直筆のメッセージを添えて箱詰めしました。
この際、テレビ・ラジオ数社と新聞数社の取材があり、情報提供から反応がなかったので諦めていたところへの当日の反響で驚きとともに困惑しながら対応しました。
自分のインタビューがテレビで流れたようですが、気恥ずかしいのでなるべく見ないようにしていました。

続いて提供当日の14日、朝早くに集まり山田町へ出発しました。
盛岡南ICで高速をおり、そこから長い山道が続きます。
何と片道5時間の行程は、単調な道が続き運転はしませんでしたが大変でした。
山が開け、急に飛び込んだのは沿岸部の状況・・・

事前の情報収集で想像はしていましたが、道路と住宅跡と思われる基礎部分しか見当たらない光景に言葉を失いました。
情報は知っていて、真実だと受け止めていたつもりでしたが、やはり実際に目にすると今後どうやって復興していくのかと明確なビジョンに結びつけられませんでした。
集合場所で立ち寄った道の駅「やまだ」や飲食店では、それなりに活況が見られ、役場に到着した際は、重い空気も立ちこめる物の雰囲気は落ち着いていました。
長時間の滞在が難しいので、すぐに最初の訪問地「豊間根保育園」へ向かいました。

ちょうどお昼寝時間だったこともあり全員にりんごを手渡すことが出来ませんでしたが、偶然に起きていた数名が次々にりんごへ駆け寄り手にとって「りんご大好き」の声には苦労が報われた思いでした。
また、その元気な姿には「必ず復興できるだろう」と確信を得ることが出来ました。
その後、山田高校、中央保育園でりんごを提供、子供達とは直接ふれあうことが出来ませんでしたが、先生方の話では落ち着いている様子が伺えました。

滞在時間3時間と短かったので、3ヶ所だけ訪問して残りは支援物資集積配送センターへ運びました。
体育館に積み上げられた多くの支援物資、そしてスタッフの笑顔、これほどの「思い」が有るという事実に、世の中は捨てた物ではないなぁと改めて感じました。
再び5時間の帰路につき、弘前へ到着したのは午後8時を過ぎた強行スケジュール・・・協力してくれた部員には、ただただ感謝です。
もちろん厳しい収量の中でりんごを拠出してくれた皆様、山田町役場の担当者、協力いただいた小中高東学校・保育園の皆様など、全員の協力で今回の流れを生み出せたことに感謝いたします。
いつまでも背中を支え応援することで必ず復興すると信じ、これからも応援していくつもりです。

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